源平合戦は、日本の歴史を大きく動かした内乱として知られていますが、その物語が今も身近に感じられる土地の一つが香川県です。
教科書で学んだ合戦や英雄たちの逸話は、決して遠い過去の出来事ではなく、瀬戸内の風景や地名、寺社、祭りの中に静かに息づいています。とくに屋島を舞台とした戦いは、義経や那須与一といった人物の活躍によって語り継がれ、香川の歴史的アイデンティティの一部となっています。
本記事では、源平合戦の全体像を押さえながら、なぜ香川が重要な舞台となったのか、そして現在も残るゆかりの地や文化を通して、歴史と暮らしがどのようにつながっているのかを丁寧にたどっていきます。歴史に詳しくない方でも、土地の魅力として自然に理解できる構成でお伝えします。
香川と源平合戦

香川は、源平合戦という日本史上の大きな転換点を語るうえで欠かせない土地です。瀬戸内海に面した地理的条件は、当時の軍事や政治の動きと深く結びついており、単なる地方の一戦ではなく、戦局全体を左右する重要な舞台となりました。
ここではまず、源平合戦そのものがどのような内乱だったのかを整理し、そのうえで、なぜ香川が戦の最前線となったのかを歴史的背景からひも解いていきます。
源平合戦とは?日本史を動かした内乱
源平合戦とは、平安時代末期に起こった源氏と平氏による全国規模の内乱です。1180年、以仁王の令旨をきっかけに戦乱が始まり、約5年にわたって各地で戦いが繰り広げられました。武士が政治の中心へと台頭していく過程で起こったこの争いは、貴族中心だった社会構造を大きく変え、最終的には鎌倉幕府の成立へとつながります。
合戦の過程では、源義経や平清盛といった人物が歴史の表舞台に立ち、多くの軍記物語や伝説を生みました。源平合戦は単なる勝敗の物語ではなく、日本の統治体制や価値観が大きく転換する契機となった出来事です。
香川が戦の舞台になったワケ
香川が戦の舞台となった背景には、瀬戸内海交通の要衝であった点が大きく関係しています。平氏は海上交通を掌握することで勢力を広げており、屋島を拠点として西日本一帯を統治していました。屋島は当時、島として海に囲まれており、防御に優れた天然の要害でした。そのため、平氏にとっては軍事拠点として極めて重要な場所だったのです。
一方、源氏側にとっても、ここを攻略することは戦局を有利に進めるために欠かせませんでした。こうした地理的・戦略的条件が重なり、香川は源平合戦の中でも象徴的な舞台として歴史に刻まれることになります。
屋島の戦い
屋島の戦いは、源平合戦の中でもとくに物語性が強く、現在まで語り継がれてきた象徴的な戦いです。香川の地に残る数々の史跡や伝承は、この戦いを通じて生まれたものが多く、歴史と土地の結びつきを強く感じさせます。
ここでは、屋島の戦いを語るうえで欠かせない名場面と、源義経が見せた大胆な戦略に注目し、当時の緊迫した状況とその意味をひも解いていきます。
「扇の的」に込められた伝説
屋島の戦いを象徴する逸話として広く知られているのが「扇の的」の物語です。平氏は屋島沖の船上に扇を掲げ、それを射抜くことを源氏に求めたと伝えられています。この挑戦に応じたのが、那須与一です。
荒れた海と強い風の中、馬を海へ乗り入れ、一本の矢で扇の要を射抜いたという場面は、『平家物語』の中でも特に印象的な名場面として描かれています。この逸話は、単なる武勇談ではなく、武士に求められた覚悟や美意識、名誉を重んじる価値観を象徴しています。
香川に残る与一堂や地名の数々は、この物語が地域の記憶として深く根付いている証といえるでしょう。
義経の戦略と源氏の反撃
屋島の戦いにおいて、源義経が見せた戦略もまた特筆すべきものです。
義経は、屋島の背後から夜襲を仕掛けるという大胆な作戦を実行しました。険しい山道を越えて進軍するこの作戦は、常識的には不可能と考えられていましたが、義経は少数精鋭でこれを成し遂げます。その結果、平氏は大軍が来襲したと誤認し、混乱に陥りました。この奇襲によって戦局は大きく動き、源氏は主導権を握ることになります。
屋島の戦いは、力の差ではなく、地形を読み切った判断力と決断力が勝敗を分けた戦いでした。この出来事は、義経の名を不動のものとし、香川の地に今なお語り継がれる歴史的記憶として残っています。
香川に残る源平ゆかりの地を巡る
香川には、源平合戦とりわけ屋島の戦いにまつわる史跡や寺社が点在しています。これらの場所は、単なる観光地ではなく、物語として語られてきた歴史が土地に重なり合う場所です。実際に歩いて巡ることで、書物や伝承の中にあった出来事が現実の風景として立ち上がり、当時の緊張感や人々の思いを身近に感じられます。
ここでは、屋島周辺に残る代表的な史跡と、歴史理解を深められる施設を紹介します。
屋島古戦場・与一堂・駒立岩
屋島古戦場は、源平合戦の舞台となった屋島一帯を指し、現在も地形や景観の中に戦の名残を感じ取れます。高台からは瀬戸内海を見渡すことができ、平氏が海上に陣を構えた理由や、源氏の進軍ルートを想像しやすい場所です。
近くに建つ与一堂は、那須与一を祀る堂で、「扇の的」の逸話を今に伝えています。堂内には那須与一像が安置され、地域の人々に大切に守られてきました。
駒立岩は、与一が馬を乗り入れる際に立ち止まったと伝えられる岩で、物語と地形が結びついた象徴的な存在です。これらの史跡は徒歩圏内に点在しており、ゆっくり巡ることで、屋島の戦いが一つの空間として理解できる構成になっています。
屋島寺や資料館を訪れる
屋島寺は、四国八十八箇所霊場の第八十四番札所として知られていますが、源平合戦とも深い関わりを持つ寺院です。境内には屋島合戦にまつわる伝承が残され、歴史と信仰が重なり合う場所として多くの参拝者を迎えています。
周辺には屋島山上交流拠点施設や資料展示を行う施設もあり、合戦の背景や当時の武士の暮らしを学ぶことができます。展示では地形模型や解説パネルを通して、屋島の戦いを立体的に理解できる点が特徴です。
史跡を巡った後に資料館を訪れることで、見てきた風景と歴史知識が結びつき、香川に残る源平の物語をより深く味わえるでしょう。
伝承・地名・祭りに息づく物語
屋島の戦いをはじめとする源平合戦の物語は、史跡だけでなく、香川の各地に残る伝承や地名、祭りの中にも息づいています。
たとえば、屋島周辺には合戦に由来するとされる地名が点在しており、日常的に使われている言葉の中に歴史の痕跡が残されています。那須与一や源義経にまつわる話は、地域の昔話や学校教育、郷土史の中で語り継がれ、世代を超えて共有されてきました。また、地域によっては源平合戦を題材にした行事や催しが行われ、歴史が「知識」ではなく「体験」として受け継がれています。
こうした伝承は、史実の正確さだけでなく、人々がどのように物語を受け止め、土地の誇りとして守ってきたかを映し出しています。香川では、源平の物語が特別なものとして隔離されるのではなく、生活の延長線上に自然に溶け込んでいる点が特徴です。
歴史と暮らしがつながる土地
香川が「歴史と暮らしがつながる土地」と感じられる理由は、源平合戦の記憶が観光資源にとどまらず、地域の価値観や人の営みに根付いているからです。
史跡の多くは住宅地や生活圏の近くにあり、通学路や散歩道の途中で歴史に触れる場面も少なくありません。寺社や公園、展望地などが日常の居場所として利用される中で、自然と歴史への理解が深まっていきます。
また、地元の人々が史跡を大切に守り、訪れる人に穏やかに語りかける姿勢も、この土地ならではの魅力です。過去の出来事を誇張するのではなく、今の暮らしと地続きのものとして受け止める感覚が、香川の風土を形づくっています。
源平合戦の舞台でありながら、穏やかな日常が広がるこの土地は、歴史を身近に感じながら暮らすことができる希少な地域といえるでしょう。
関連記事:香川はどんなところ?暮らしやすさと地域の魅力をやさしく紹介
まとめ
香川は、源平合戦という日本史の大きな転換点を、単なる出来事としてではなく、土地の記憶として今も抱え続けている地域です。
屋島の戦いに象徴されるように、地形や海の存在が戦の行方を左右し、その痕跡は史跡や寺社、伝承として現在の暮らしの中に溶け込んでいます。史実と物語、観光と日常が切り離されることなく共存している点が、香川ならではの魅力です。
歴史を学ぶために訪れる場所であると同時に、生活の延長線上で自然に触れられる存在であることが、源平ゆかりの地・香川の価値をより深いものにしています。過去を知ることで、今の土地の姿がより立体的に見えてくるでしょう。
関連記事:お遍路巡りを始めたい人へ!必要な知識と安心して歩く基本を解説
投稿者プロフィール

-
「瀬戸のくらし便り」は、香川県で暮らす毎日をより心地よいものにしたいという思いから立ち上げた地域情報メディアです。
運営者は香川県にゆかりを持ち、実際に地域での暮らしや人とのつながりを経験してきました。観光目線ではなく、生活者として感じる魅力や不便さ、気づきや工夫を大切にしながら、香川で暮らす30~40代の方に役立つ情報を発信しています。
仕事や子育て、趣味、地域活動など、人生の中盤に差しかかる世代が直面しやすいテーマを中心に、肩ひじ張らず読める内容を心がけています。
最新の投稿
コラム2025年12月15日香川と源平合戦の物語!屋島の戦いと今に残る歴史の足跡
コラム2025年12月15日香川県は子育てしやすい?支援制度と独自の取り組みを紹介
コラム2025年12月14日地方で婚活は不利?香川の行政支援と民間サービスを賢く活用するポイント
コラム2025年12月13日高松市は本当に住みやすい?家賃相場・治安・子育て環境を解説








